あーかい あーかい まっかいけ

85歳の母が亡くなった。母の死から教えられたことをすこし聞いてもらいたい。

2015-01-01から1年間の記事一覧

葬儀代 高すぎませんか?

前もって言い訳をしておきますが、私にはそもそも信仰心というものが無く 加えていいますと常識知らずなところも多々あるので、 今回の話題はいい大人が語るには大いに的外れなのかもしれません。 が、そう思ってしまったのだから、思ったことを率直に書いて…

丁寧に生きる

喪中葉書を送りました。 と言っても、母の関係の宛先に送る分は姉が全部手配してくれました。 私は毎年年賀状を送る自分の家の分しか頭に無くて、 母が送っていた分まで気が回りませんでした。 喪中葉書で母の訃報を知った母の幼馴染や女学校時代の友人の方…

もやっとした気持ち

前回のブログで次女が一人暮らしを始めたことを書きました。 母が遺した、家電の数々から台所の日用品に至るまで沢山の物たちが 横浜の片隅で次女と生活を共にすることになりました。 いずれ処分し片付けないといけない物ばかり、 最も有効に使うことが出来…

中秋の名月

下の娘が東京で仕事をすることになり、家族総出で娘の引越しを手伝いました。 東京で仕事と言っても住むのは横浜の片隅ですが… 車で荷物に埋もれながら行きましたが、帰りは旦那が先に車で帰り、私はその翌々日に帰り、上の娘は東京を満喫し足らないのか更に…

あーかい あーかい まっかいけ

このブログのタイトル あーかい あーかい まっかいけ なんのこっちゃわからん 不気味なタイトルですが、 ちゃんと由来はあります。 49日の満中陰の日、 お寺で法要を終えその後、母の姉、妹、義妹、義弟に母のマンションに寄ってもらい、 形見分けのようなこ…

夢の話

母の葬儀が終わってから満中陰まで、 仕事休みの日は実家へ行き母の遺品の整理をしたり、 銀行や役所などのさまざまな事務手続きに追われていました。 そんな中、一日だけ実家に行かず家でゆっくり出来た日がありました。 疲れていたのか、気が緩んだのか、…

初盆

先週お寺で初盆のお参りがありました。 昨年8月から今年7月までに亡くなった方々と合同のお参りでした。 本堂に並べられた御位牌の数はおおよそ20ほど。 それぞれの家族が集まり故人を偲びました。 どこのおうちでも我が家と同じような出来事が、あれこれ繰…

真珠の指輪

遺品の整理をしているとわずかですが宝飾品が出て来ました。 高価なものはありませんが、姉と相談しながら分け合いました。 数少ない中でも、姉にとっても私にとっても思い出深いのが真珠の指輪でした。 昔から母はほとんど宝石類は持っていなかったので、 …

母の姉

母は昭和4年、7人兄弟の3番目として生まれました。 当時はこれくらいの兄弟は普通だったのかな?ちょっと多い? 兄姉母弟妹妹妹 今も元気でいるのは母の姉とすぐ下の妹の二人だけです。 母が亡くなるとき、急な知らせでしたがすぐに駆けつけて来てくれました…

死ぬことは生きること

当たり前のことだけれど、生まれてきた以上誰しも死ぬときがやって来ます。 親を選んで生まれて来れないように、どう死ぬのかは自分では選べません。 母が亡くなって 「私もあなたのお母さんみたいに死にたいわ」 という方がいました。 長患いをするわけでな…

日傘

親孝行したいときには、親はなし 何度も何度も聞いてきた言葉ですが、そうなってみてやっと言葉の意味を知ります。 この時期になると日傘がよく店頭に並びます。 私はなぜか昔から日傘を見ると 「あ、おかあちゃんに買ってあげようかな」 と思う癖があります…

友の母の訃報

昨日、 “先月半ばに最愛の母が永眠しました” と、私の数少ない友人の中でも親友と呼ぶべき幼馴染から知らせがありました。 長い間患っておられ容態が深刻なことも知っていたので、私の母の訃報を知らせられずにいました。 実は私の母も2月に亡くなって、と告…

父のこと

阪神淡路大震災の年に私の父は亡くなりました。 震災で亡くなった訳ではありませんが、震災がなければもしかしたらもう少し長く生きていたかもしれない。そう思うことがあります。 というのは、震災の日父は大阪の病院に肺癌で入院をしていました。 手術の日…

粕汁

お通夜は亡くなった日の翌々日木曜日になりました。 そのため丸々1日は母のそばで過ごすことができました。 母も慣れ親しんだ家でゆっくり眠れたことでしょう。 水曜日の朝、何か食べなくてはと台所のコンロにある鍋の蓋を開けると、 日曜日の朝、母が私に作…

ただいま

母も救急車で家を出るとき、まさか翌日死んで帰ってくるとは思っていなかったでしょう。 お通夜もお葬式も母がいつもお世話になっていたお寺でお願いすることになり、 お寺の方は母を病院から直接お寺に来て貰ったらいいですよ、 と遠方に住む私たちを気遣っ…

遺影

遺影の為に写真を探す事になりました。 母は極端に写真に写る事を嫌がりました。 そんなお年頃なのでしょうか。 なのでちょうどいい写真が見つかるか心配しました。 姉には娘が2人、私にも娘が2人、姉の長女には1歳の女の子がいます。 我が家は女系なので…

最期の言葉

翌日の火曜日早朝、姉から 母の容態がよくないと病院から電話が入ったので、至急行ってほしい、自分もすぐに向かうので、 と言う内容の電話がありました。 この日はこの時点から私の記憶が断片的で、 大切なことがあやふやだったり、ふとした瞬間が鮮明だっ…

月曜日その後

胆石をお腹に持っていたとは母も知らなかった事だと思います。 胆汁膵汁の流れ出る場所に胆石が詰まり、膵汁がにじみ出て周囲の臓器に炎症を起こさせている。 そんな説明だったと思います。 開腹手術をしないで詰まっている部分を通す処置がうまくいった、 …

月曜日

やっと救急車を呼ぶことができ、私はすぐに電車で大阪へ向かいました。 母は普段通院している総合病院に運ばれ、診察室で横になっていました。 点滴をしてもらっていましたが、とてもつらそうでした。 その病院ではレントゲン撮影など検査してもらいましたが…

「死ぬってなに?」

母が亡くなってしばらく2・3週間くらいだろうか、 私の頭の中で 「死ぬってなに?」 というつぶやきが、浮かんでは消え、また浮かんでくる。 それを繰り返すのです。 母が死んでしまった事は、病院で医師に最期を告げられたときから、お葬式をして灰になった…

管轄外の救急車要請

2月16日月曜日の早朝5時半位だったかな、枕元の携帯電話が鳴った。 真っ暗な部屋の中、携帯電話を手探りで取り、着信を見ると母からでした。 こんな時間に何事かと急いで出ると、 「昨日あんたが帰ってからお腹が痛いねんけど」 母の弱弱しい声が聞こえた。 …

いつもの光景

母は85歳ではありましたが、大阪の下町のマンションで一人がんばって暮していました。 私は姉と2人姉妹なのですが、母は嫁に出した娘達の世話にはなれない、 と年金暮らしでまさにがんばっておりました。 そんな母の気持ちとは反対に、私も姉も実家に帰って…

はじめまして

2月17日母が他界しました。 火曜日のことでした。 土曜日~日曜日、私が久々に羽を伸ばしに実家へ帰った時は いつもと変わらず話をしたり、朝ごはんまで作ってくれて、、 そんな母の死を今も実感できないでいます。 実家に行けばまた会える、 そんな感じです…