月曜日
やっと救急車を呼ぶことができ、私はすぐに電車で大阪へ向かいました。
母は普段通院している総合病院に運ばれ、診察室で横になっていました。
点滴をしてもらっていましたが、とてもつらそうでした。
その病院ではレントゲン撮影など検査してもらいましたが、
より設備の整った病院へ移ることとなりました。
希望の病院はありますか?
と、いくつかの病院を挙げられた中に、
姪が看護師として働く病院名がありました。
母にとっては孫娘がいる病院の方が安心かと思い、その病院に移ることになりました。
再び救急車で次の病院へ。
救急の治療室で診察してもらっているあいだに姉が奈良から到着し、
私も少し安心しました。
胆汁と膵汁の流れる管に胆石が詰まっていることが解りました。
膵臓は重篤になると死に至る危険な臓器なので、と説明を受けました。
ただその時点では、深刻な状態ではなく処置をして10日ぐらいで退院できるのでは、と言ってもらって、姉も私も一安心しました。
病状も解りいよいよ治療することになり、
まずは病室に移動し、ベッドで寝かされ、やっと少し落ち着いたなと思ったら、
母は、「もう帰ってや、用事あるやろ。」
と言うのです。
“いやいやこれからやのに帰れるわけないやん”、と心でつっこみながら
「なに言うてんの、大丈夫やで」
とやんわり返事しました。
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駅のホームから見た朝焼け
まさか翌日母が他界するとは
この時は微塵も思わなかったな。