あーかい あーかい まっかいけ

85歳の母が亡くなった。母の死から教えられたことをすこし聞いてもらいたい。

遺影

遺影の為に写真を探す事になりました。

母は極端に写真に写る事を嫌がりました。

そんなお年頃なのでしょうか。

なのでちょうどいい写真が見つかるか心配しました。

 

姉には娘が2人、私にも娘が2人、姉の長女には1歳の女の子がいます。

我が家は女系なのです。

母の写真を見ながら、これはあの時、これは誰それと、と女ばかりで脱線しながら探しました。

姉と私の子供時代のものまで出てきたりで、母が亡くなった当日でしたが、

和やかな時間でした。

 

そして、ようやく選んだのは今年のお正月に、孫とひ孫に囲まれて笑っている、いつもの母の自然な姿の写真でした。

もしも母本人が選んだとしたらこの写真は選ばなかったかもしれません。

洋服は普段着のままだし、お化粧だってもっとちゃんとしてるのあるやろ、

っていろいろ不満もあるでしょう。

でも本当にやさしく笑っていて、参列して頂いた方みなさんに、

「いい写真だね」

と、言ってもらえました。

 

私自身写真に写った自分を見てがっかりすることが多いので、

将来自分の遺影ってどんなことになるのかとても心配です。

前もってプロのカメラマンに撮って貰う、というのが終活のひとつとしてあるらしいですが、

私にもその気持ちは分かります。

ただ、今回母のことがあり孫娘4人が頭をつき合わせて、母の写真を母を思いながら選んでいる様子を見て、

ああ、こういうことか、と妙に納得しました。

母本人の希望を聞くことはできませんが、残された私たちが母らしい1枚の写真を選びました。

 

その時間そのものが母を送る大切な儀式のように思えました。

 

遺影は葬儀での母の顔。

いつも通りの母が、孫やひ孫に囲まれた幸せそうな笑顔の母が、

参列してくださったおひとりおひとりと、最期のご挨拶ができた。

そう思っています。