あーかい あーかい まっかいけ

85歳の母が亡くなった。母の死から教えられたことをすこし聞いてもらいたい。

死ぬことは生きること

当たり前のことだけれど、生まれてきた以上誰しも死ぬときがやって来ます。

親を選んで生まれて来れないように、どう死ぬのかは自分では選べません。

 

母が亡くなって

「私もあなたのお母さんみたいに死にたいわ」

という方がいました。

 

長患いをするわけでなく、ぼけるでもなく、子供たちを悩ませることもなく、ある日突然その日を迎える。 

 

私もできることならそうなりたいと思います。

 

わたしはどんなふうに死を迎えるのだろうか、

苦しまないだろうか、子供たちに迷惑かけないだろうか。

母が亡くなったことで自分の死についても漠然と不安のようなものを感じていました。

 

そんな時、友人のお母さんの死と壮絶なまでの闘病生活について話を聞きました。

子供のころから私のこともかわいがってくれた、大きな声で話してよく笑う、元気で明るいおばちゃんでした。

病院でも人気者だったそうで、

亡くなった時、若い看護師さんたちが泣きながら死に化粧をしてくれたそうです。

80半ばのおばあちゃんが弱音を吐かず前向きに病気と最期まで闘ったからこそ、

たくさんの患者と触れ合っている看護師さんたちの心にも、迫るものがあったのでしょう。

 

友人はそんな母親の闘病生活を精一杯支えたことで、亡くなった後も出来ることは全てした。

と悔いなくお母さんとお別れが出来たようです。

 

こんなことを思うのは、長い間苦しみに耐えたおばちゃんに叱られてしまいますが、

私と母にはそんな時間が持てなくてさびしく、彼女を少し羨ましくすら思いました。

 

そこで解ったことがありました。

なんとなく自分の死について不安を感じていた私でしたが、

どんな死に方をするか、よりも

どう生き抜くかが大切なんだということを。

母と友人のお母さんとはまったく違う最期でしたが、

私たちの思ったことは同じ

“お母さんて、すごいな”  でした。

 

友人は長い看病で体力的にも精神的にも相当疲れた事と思います、

それでも病気と闘い抜いた彼女のお母さんの生き様は、

これから彼女が生きていく大きな標となったことでしょう。

 

私の母は突然亡くなりましたが、残された私たちは何一つ困ったことはありませんでした。

子供に迷惑はかけられない、と踏ん張ってきたことがよくわかりました。

 

母と友人の母の死を通して、

どんな最期を迎えることになったとしても受け止めて前へ進むこと、

いつそんな日が訪れても揺るがない毎日を送ること、

を学びました。

 

 

自分自身の死、に対しての不安は抱かなくなりましたが、

さらに大問題が発生しました。

もし今の私に最期の日が訪れたら、子供たちや周りの人たちに迷惑ばかりかけてしまうことになります。

あまりにも生き方が、ゆる過ぎる。

母の死でたくさんの事を教えられたように、

私も死んだ時、“お母さんがんばったね。私もがんばるよ。”

と子供たちに言ってもらえるように、と欲が出て来ました。

 

大きな宿題をもらったような気持ちです。

 

この宿題とても時間がかかりそうです。

まだまだ、私は死ねません。