あーかい あーかい まっかいけ

85歳の母が亡くなった。母の死から教えられたことをすこし聞いてもらいたい。

丁寧に生きる

喪中葉書を送りました。

と言っても、母の関係の宛先に送る分は姉が全部手配してくれました。

私は毎年年賀状を送る自分の家の分しか頭に無くて、

母が送っていた分まで気が回りませんでした。

 

喪中葉書で母の訃報を知った母の幼馴染や女学校時代の友人の方などから、

お返事をいただきました。

 

向かい同士の家で、同じ学年だった方からは

小学校で母が書いた、妹が生まれたときの感動した様子の作文を担任の先生に褒められていたことや、

大人になって母に就職の世話をしてもらったこと

2年前にはその方のご自宅にまで遊びに行って、たくさんお話をしてまた会いましょう、と約束をしたこと

など母との思い出をたくさん教えて頂きました。

 

女学校時代のお友達からは、

戦争時代学徒動員で福助足袋に勤めていて、母が迎えに行って一緒に通勤していたこと

その方のお誕生日が3月3日なのでおすしを作って母を招き、お祝いをしてもらったこと

そのお祝いに母手作りのかわいい雛人形をプレゼントしてもらったこと

などやはり母との思い出を書いてくださいました。

 

私の知っている母はずーっと全部が母親なので、

母の友人からのお手紙で、母が一人の女の子として生きていた様子を知って、

嬉しいような、恥ずかしいような気持ちになりました。

また、こうして母を想って母の死を悲しみ、丁寧なお手紙を送ってくださった、

友達ってありがたいなと、しみじみ想いました。

 

私の友達も喪中葉書を受け取って連絡をしてくれました。

小学校入学の日から付き合っている友達は

”おばちゃんの声いまでもおぼえてるよ”

”参ってないですか、無理しないで”

といたわりのメールを送ってくれました。

私を心配して直ぐに電話をくれた友達もいました。

 

常日頃私はとても雑に生きています。

このブログも1ヶ月以上ぶりだし、

ラインやメールの返信もなかなか返さないし、

毎年の年賀状も29日くらいになって慌てて出して元旦に間に合わなかったり、

言い出せばきりがありません。

 

私の性格が簡単に変わるものではないと思いますが、

姉のように、

母の友人のように、

私の友人のように、

もう少し丁寧に生きられたらいいな

と、今回の喪中葉書での一連の出来事が私の意識を少し変えてくれました。