がん告知
前回、若くして乳癌で亡くなられた清水アナウンサーの奥様のお話を書きましたが、
実は私も30年前に胃癌で胃を2/3摘出する手術を経験しています。
私は早期発見早期治療が出来たため、
この年まで普通に生きてこられましたが、
母にはずいぶん心配をかけたことを、今になって申し訳なかったと深く感じています。
昨年姉と実家の仏壇を処分した日がありました。
看護師をしている姉の次女も手伝いに来てくれました。
その時にその姪の仕事の話から、病気の告知の話題となり、
私が姪に
「私も癌で手術したんやで、
お医者さんから説明聞いてるとき、おばあちゃんの方が先に泣いてたわ」
と言うと、姉が
「え、あんた知ってたん? お母ちゃん、
治るんやったら絶対、癌て言わへん
て言ってたで」
と、そんなことを言いました。
私には初耳でした。
そういえば当時、医師の説明からただの一度も”癌”と言われたことはありませんでした。
その頃、胃潰瘍を患い定期的に検査をしていて、その段階で
よくない細胞が見つかったので取り除く手術をしましょう
と言う事でした。
私も軽く「癌ですか」と聞いたような気がしますが、
そうならない為、そうなるはじめの段階、
とかそんな感じの曖昧な答えだったと思います。
なので、私はあくまでも胃潰瘍の手術、癌になりかけ、という程度の認識でした。
こうして再発することなく、30年生きてきましたが、
病名を知らされていた母にとっては、さぞかしつらく不安な現実だった事でしょう。
その時の私とちょうど同じ年頃の我が娘を当てはめて思うと、
ただただ恐ろしい気持ちになります。
母が病名を伏せてくれたことに、私は何の疑問も抱かずに
胃を2/3切除した事実だけに向き合っていました。
癌という病名を聞いていたら、受け止め方は大きく変わっていたかもしれません。
30年生きている間に、私も癌患者だったんだな、と自分なりに理解していきました。
ただ姉の口から、30年前に母がそんな思いで私が受けるはずの不安を引き受けてくれていたという事を知らされて、そんな事があったのかと驚きました。
母の最期の時、私は意識が定かでない母の耳元に
ありがとう、
心配かけてごめん
と言いました。
素直でやさしい姉に比べて私は何を考えているか分からないやりにくい娘だった、
という自覚は十分あったので、とにかく色々謝りたいそんな気持ちでした。
この30年前の事実を聞いて、
ありがとう と ごめんなさい
をもっともっと言わなきゃいけなかった事を今更ながら思い知っています。