あーかい あーかい まっかいけ

85歳の母が亡くなった。母の死から教えられたことをすこし聞いてもらいたい。

桃のケーキ

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先日ご近所のお友達数人で、桃のケーキが人気のお店に行ってきました。

車で小一時間かかるのですが、その価値がある美味しいケーキでした。

桃丸ごと1個で、中に甘さ控えめのカスタードクリームが詰まっています。

あっという間に食べ終わり、ケーキのおかわりをしたくなるのをこらえて、

お土産にこの桃ケーキと娘の好物イチゴショートやプリンを買うことにしました。

 

帰ってこの桃ケーキを見ていると

゛お母ちゃん桃好きやったなー"

と思い出し、

゛このケーキ食べたらきっと喜んだやろなー"

などと思いがめぐりました。

 

自分で、もう一度味わうつもりで買った桃ケーキでしたが、

ふと義母に食べてもらいたくなりました。

 

義母は車で15分ほど離れた山里に一人で暮らしています。

義母もまた息子夫婦や娘夫婦に迷惑をかけないようにと一人暮らしをがんばっています。

 

義母には、週に一度ほどですが、病院に送ったり、食事の買い物に一緒に行ったりと些細なことではありますが、お世話をすることが私の役目です。

実家には2ヶ月に1回も行けてなかったので(行っても私がお世話してもらってたけど)

義母のお世話をする分、母には何も出来ていない事に申し訳なさがありました。

母が亡くなり、これからは義母にもっと素直な気持ちで、母の分まで接していけると思っています。

 

 

ケーキひとつだけですが、義母の家に持っていきました。

その後出会った時に

「あんなおいしいケーキ高かったやろー。

ありがとう。」

と喜んでくれました。

 

 

 

 

 

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 ケーキ屋さんからの帰り道、畑の側溝に咲いていました。

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ひまわり畑はお友達が調べて連れて行ってくれました。

子供つながりのママ友ですが子供たちが大人になっても、

出不精で付き合いの悪い私を、あきれずに誘ってくれる。

友達って本当にありがたい。

 

 

乙女心

もう随分前に冬のソナタで火がついた韓国ドラマブームがありました。

当時私もはまり、母にも色々ビデオテープを見せたりしていました。

いつの間にか母も  美しき日々  というドラマからイ・ビョンホンさんのファンになっていました。

母はテレビを見るのが好きでした。

関西人なのでお笑い番組も大好きだったし、スポーツ番組も父よりもよく見ていました。

ドラマよりもバラエティ、ニュースをよく見ていました。

というよりドラマは見たくても毎週同じ時間にテレビの前に座ってみることが、

家事をしていると難しかったのかなと思います。

今なら見たいテレビは録画してゆっくりみることができますからね。

なのでビデオ機器を操れるようになった母はドラマ三昧にふけっておりました。

それまで母が特定の役者さんだったり、歌手だったり、お笑い芸人さんだったりのファンだというのを聞いたことがなかったと思います。

そんな母がイ・ビョンホンさんのファンになり雑誌まで買っていたのには驚きました。

大ブームのヨン様ではなくイ・ビョンホンさんにはまるあたり、私たち親子だわと思いました。

王道ど真ん中を行くわけでなく、ちょっと少数派のほう。

ジャニーズで言うと私の場合、キムタクより草なぎ君、タッキーより翼君、嵐より関ジャニが好きなのです。


おばあちゃんになった母に乙女心を蘇らせてくれた、韓流ブームは偉大であったと思います。


棺にはもちろんイ・ビョンホンさんの写真集を入れてあげました。


 

 

 

がん告知

前回、若くして乳癌で亡くなられた清水アナウンサーの奥様のお話を書きましたが、

実は私も30年前に胃癌で胃を2/3摘出する手術を経験しています。

私は早期発見早期治療が出来たため、

この年まで普通に生きてこられましたが、

母にはずいぶん心配をかけたことを、今になって申し訳なかったと深く感じています。

 

昨年姉と実家の仏壇を処分した日がありました。

看護師をしている姉の次女も手伝いに来てくれました。

その時にその姪の仕事の話から、病気の告知の話題となり、

私が姪に

「私も癌で手術したんやで、

 お医者さんから説明聞いてるとき、おばあちゃんの方が先に泣いてたわ」

と言うと、姉が

「え、あんた知ってたん? お母ちゃん、 

 治るんやったら絶対、癌て言わへん

 て言ってたで」

と、そんなことを言いました。

私には初耳でした。

 

そういえば当時、医師の説明からただの一度も”癌”と言われたことはありませんでした。

その頃、胃潰瘍を患い定期的に検査をしていて、その段階で

よくない細胞が見つかったので取り除く手術をしましょう

と言う事でした。

私も軽く「癌ですか」と聞いたような気がしますが、

そうならない為、そうなるはじめの段階、

とかそんな感じの曖昧な答えだったと思います。

なので、私はあくまでも胃潰瘍の手術、癌になりかけ、という程度の認識でした。

こうして再発することなく、30年生きてきましたが、

病名を知らされていた母にとっては、さぞかしつらく不安な現実だった事でしょう。

その時の私とちょうど同じ年頃の我が娘を当てはめて思うと、

ただただ恐ろしい気持ちになります。

 

母が病名を伏せてくれたことに、私は何の疑問も抱かずに

胃を2/3切除した事実だけに向き合っていました。

癌という病名を聞いていたら、受け止め方は大きく変わっていたかもしれません。

 

30年生きている間に、私も癌患者だったんだな、と自分なりに理解していきました。

ただ姉の口から、30年前に母がそんな思いで私が受けるはずの不安を引き受けてくれていたという事を知らされて、そんな事があったのかと驚きました。

 

母の最期の時、私は意識が定かでない母の耳元に

ありがとう、

心配かけてごめん

と言いました。

素直でやさしい姉に比べて私は何を考えているか分からないやりにくい娘だった、

という自覚は十分あったので、とにかく色々謝りたいそんな気持ちでした。

この30年前の事実を聞いて、

ありがとう と ごめんなさい

をもっともっと言わなきゃいけなかった事を今更ながら思い知っています。

 

 

 

 

約束

3月大阪で行われた、「約束」というトーク&ライブに行きました。

 アナウンサーの清水健さんと、清水さんの

 親友でアルケミストというふたり組の音楽ユニットの

心に響く素敵なステージでした。

 

 

清水健さんは昨年2月に最愛の奥様を乳癌で亡くされました。

初めての出産後112目の事だったそうです。

寿命、運命と言うにはあまりにも酷な現実です。 

 

1年を経て、まだまだ哀しみが深まる様子の清水さんでしたが、

前に進む為の決意表明の様なトーク&ライブでした。

 

若い方の死はやはり辛いものです。

産まれたばかりの我が子を遺して、

逝かなければならない奥様の無念は

計り知ることが出来ません。

遺されたご家族のお気持ちもまた、同じです。

 

 

母の様にひ孫まで抱けた一生はやはり

大往生と言えるのでしょう

 

 

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空の彼方へ旅立った君に恥ずかしくない自分でいたい

少しずつでも前に向かうよ

 

 

私の好きな歌詞の一文です

 

 

*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*

 

 

 

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一周忌、無事終えました

母が亡くなって1年が経ちました。

このブログを書くことで、随分心の整理もできたように思います。

 

今でもふと母を思い出します。

その度に  ああもういないんだった

と、胸の中でつぶやきます。

 

その一連の流れが私の中で当たり前のことになり、

以前のように、悲しい寂しいという喪失感に包まれる事はほとんど無くなりました。


今では母を身近に感じるそんな瞬間になっています。

 


時間は人の心を癒してくれるものだと体感しているところです。

 


 

母の姉が亡くなりました

先月、母の姉が亡くなりました。

母の一周忌を目前に逝ってしまいました。

母の分もたくさん長生きしてほしいと願っていましたが、とても残念です。

 

結婚してクリスチャンになった伯母のお葬式は教会でした。

たくさんの花に囲まれた、美しいお葬式でした。

 

夫や妹達を次々と喪った伯母は、私の想像以上に寂しい気持ちで日々を過ごしていたのでしょう、

 

引き篭もりがちな伯母を牧師様が訪ねられて、

また教会で信仰の道を共に歩もうと励ましてくださり、

伯母も前向きにその気持ちにこたえていたようでした。

その後、自宅のお風呂場で溺れて亡くなった、と聞きました。

足を悪くしていたので、バランスを崩して湯船に転倒してしまったのでしょうか、

詳しくは聞けませんでしたが、

あまりに突然で連絡を受けたときは信じられませんでした。


とても穏やかで、長女気質というか、

みんなを包み込むような

優しい優しい伯母でした。


 

信仰が違っても天国で、

伯母と母は会えるのでしょうか。

 

私は、ふたりが手を繋いで

”あーかい あーかい まっかいけー”

と歌ってくれている。 

そう信じたいです。

 

 

 

 

 

母のいないお正月

母のいない初めてのお正月を過ごしました。

姉の家族全員と我が家は娘達が仕事で不参加でしたが、

大阪の母のマンションで集まり例年のようにお寿司を食べたり鍋をかこみました。

 

毎年2日は大阪でお雑煮、お寿司、母の手作りのおせちを食べ

夜中までテレビを見たりおしゃべりしたり、

3日には梅田やなんばで買い物をして、

楽しく過ごすのが当たり前の行事のようでした。

 

お正月このマンションで過ごすのもこれが最後です。 

2月に1周忌を終えたら、マンションは手放すつもりです。

私に実家というものが無くなってしまいます。

これからは、私の家が娘達の実家となって私は迎える立場になるのです。

毎日変わり映えの無い日々を過ごしているようで、

確実に私の環境も最期に向かって進んでいるのだ、そう実感します。